年が改まり、今年初めての坐禅会を本日(1月7日)開催いたしました。寒さが厳しく辺りが薄暗い中、多くの参禅者がいらっしゃいました。 今回の茶菓子は「花びら餅」です。お正月の和菓子として有名ですが、起源は平安時代の新年行事「歯固めの儀式」を簡略化したもので、宮中のおせち料理の一つとされていたそうです。ごぼうと白味噌餡とピンク色の餅を、餅で包んだ和菓子です。お抹茶ととても合い、美味しく頂戴いたしました。
坐禅の始まりに、「禅の友」に掲載の大本山永平寺貫首 福山諦法禅師の年頭挨拶を紹介させていただきました。以下は福山諦法禅師の年頭挨拶を元に、恐縮ながら私の解釈にて要約してお話させていただいた内容です。
中国・宋時代の詩人、載益(たいえき)の「春を探るの詩」の一節です。
終日春を尋ねて春を見ず(春のしるしを探しに一日中尋ね歩いてみたがどこにも見出せなかった)
藜(あかざ)の杖をつき踏破す幾重の雲(藜の茎で作った杖をついてあちこち捜し歩きくたくたになって家に帰ってきた)
帰り来足りて試みに梅梢を把りて看れば(そこでふと庭の梅の小枝をじっと見てみると)
春は枝頭に在って已に十分(なんと探していた春は梅の小枝の張り切った蕾となって已に自宅の庭にあったのだ)
春を求めてさまよい歩いたが、身近なところに小さく、しかし確実な春の息吹を見つけた驚きが胸にしみてくる詩です。この詩人のさまよい歩いた道のりはけっして無駄ではありません。梅の花は寒く厳しい冬を乗り越えて、春先に美しい花を咲かせるように、人も悲しみ苦しみを経験し、それに耐えて努力するからこそ、人の温かさを知り、今ある喜びを感じれるのではないでしょうか。人は、幸せや悟りなどの目標を自分の心の外側へに求めてしまいますが、遠くに求めて得られるものではありません。 春がくれば自ずから花開くように、たゆまず、怒らず、精進を怠らず進むのであれば、きっと私たちの足元に春を見つけることができると信じております。共に弁道精進を続けてまいりましょう。
次回は、2月4日(土)です。